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2011年2月の記事

2011年2月 9日 (水)

とりあえず遊女レベルで。

有吉佐和子の小説、「出雲の阿国」。言わずと知れた、歌舞伎の創始者と言われる女性の生涯を描いたものだが、読んでみると意外に今の歌舞伎とはほど遠い。
 歌舞伎っていうのは要するに、日本の伝統的ミュージカルみたいなイメージだけど、阿国の一座がやっていたのはあくまでも踊りが中心で、そこに囃子がついて歌をのっけて、ってな感じだったらしい。
 京の四条河原に小屋掛けして、町人たちを相手に毎日興行を打ち、たまに身分の高いお偉いさんに気に入られるとお屋敷に住み込んで接待の宴席で芸を披露。褒美に高価な衣装やら金子などを頂いてまた河原へ戻るといった感じ。歌舞伎っていうより、芸人ですね。
 
 人気が出れば当然、二匹目のドジョウを狙う者どもが現れる。河原には小屋が建ち並び、阿国の一座は他との差別化を図るために演出を凝らす。男装の女、女装の男、コミカルな演目からシリアスな物語まで、芸の幅はどんどん広がっていく。
 そこで興味深いのはですね、実は阿国の一座ではなくて、ライバルたちが始めたことなんだけど。なんと我々にはおなじみの、あの楽器が登場するわけだ。
 そう、これsign01

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 当時「蛇皮線」と呼ばれていた三線が、なんと四条河原で大流行したと言う。弾いていたのは街の遊郭からやって来た遊女たち。
 遊郭の楼主たちが河原に小屋を掛け、昼間は仕事のない遊女たちにここで歌ったり踊ったりさせて客を集め、それはそれは町人たちの度肝を抜いたらしい。なにしろ、それまでいちばん流行っていた阿国一座はたった数人、それに比べてこちらは二、三十人の遊女をずらっと並べ、何丁もの三線をじゃんじゃかかき鳴らしたと言うのだ。
  なにしろ「芸妓」ではなく、あくまで「遊女」なのでたいした芸ではなかったようだが、それまで鉦や太鼓、あとはせいぜい笛くらいで演じられていた「歌舞伎」を、琉球伝来で異国情緒漂う高価な三線でたっぷり聴かせられては敵わない。まして楼主たちの目的は「芸」ではなく遊郭の宣伝であるのに、大衆は派手で珍しいものへあっけなく流れていく。
 向かいの小屋から聞こえる三線の音に、阿国はじめ一座の人々は歯がみして悔しがったと有吉女史は書く。
 
 そう。歌舞伎と言えば、袴姿の男性がずらっと並んで三味線弾いているけど、あれが全部艶やかに着飾った遊女で、二倍も三倍もいるというのが歌舞伎の原型なのだろうか。
 そして遊女たちは三線を弾くのに本来の「爪」じゃなくて、琵琶の撥を使っていたようだ。あるもので代用する。爪は伝来しなかったのかしら。で、撥の角が引っかかって三線の皮が破れる。ご存じのように三線の皮は蛇。現在はビルマニシキヘビが主に使われているらしいが、当然そんな大蛇はヤマトにはいない。青大将なんかちまちま剥いて、三線の胴に貼れるかってんだ。そこで、近くにいる動物の皮を使うようになって、現在の三味線に至るということらしい。
 爪って、ちなみにこんなやつね。材質は水牛の角。う~ん、なんてアジアtaurus

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 秀吉から家康の世へ移りゆく時代に、京の都で三線が大流行したなんて、知らなかった。原材料のせいか、三線は三線として定着せずに三味線へと形を変え、現代の世になって再び、改めて三線としてヤマトへ広がってきた。
 そんな歴史の末端にいる自分を感じながら、今日も愛用の三線「お嬢」を手に取る。
 とぅんてんとぅんてん、ぽこ。
 ……ん?
 とぅんてんとぅんてん、ぺし。
 
 ……いつになったら上手くなるのか、ひめよ。                (ひめ)

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リグレッツ公式HP http://www7b.biglobe.ne.jp/~regrets/

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